経営者インタビュー

製造現場で働くなかで感じた、「頑張っても報われない」という現実
頑張った人が適性に評価される世の中になるよう、チャレンジし続けている


更新日時:2016年01月

[UTテクノロジー企業紹介]
UTグループのグループ会社。2015年10月1日に現社名に変更。ソフトウェアおよび機械・機構設計開発、電気・電子回路設計開発に関わり、来るべく「インダストリー4.0」時代に向けて、自動車・航空・宇宙業界を中心にハード~ミドル~ソフト全方位で着々と基盤づくりを推進。技術者付加価値向上施策として、独SIEMENS社と提携した独自の技術教育やヒューマンスキル教育に注力。社員が働きやすい環境整備やモチベーションを高める施策も順次強化し、常に成長するプロフェッショナル集団を目指す。

「なぜその手順に至ったのか」、その積み重ねのプロセスを知ることは楽しかった
「何も考えずに手順通りにやればいいんだ」ではないことも、同時に知った

1991年、大手製造派遣会社に契約社員として入社しました。元々配管工だったので、職人的な仕事は好きだったのですが、当時の私にとって工場のイメージは「何も考えずに、手順通りにやればいいんだ」くらいの認識。しかし、実際に仕事を始めて、モノが作られていく過程を知るにつれ、その手順書や標準仕様書がどういう積み重ねを経てブラッシュアップされ、「今」があるのかを知ることができて、楽しかったですね。
また、外部の労働力と言われていましたが、個人で黙々と仕事をするのではなく、チームの中で役割分担で仕事をすることが普通でしたから、同じ職場に同じ仲間がいるという環境が居心地が良かったですね。

部署内異動ですら調整が大変で、外部労働という概念さえない時代
非常なアウェイ感の中で、許された時間はわずか4か月

一番の転機は、某大手電機メーカー様の鹿児島工場での請負現場の新規立ち上げの責任者となったことです。当時、特に大手の製造現場では、外部労働の概念すらありませんでした。聞いた話ですが、社内の部署間異動ですら抵抗が強くて調整の大変な頃です。尚更、我々のような資本関係の全くない外部の会社が入ってきて、しかも元々社員さんがやっていた仕事を我々に置き換えるわけですから、非常にアウェイ感が強かったですね。敵意が非常に強かったです。笑。
わずか4か月という時間の猶予しかない中で、引き継ぎの情報提供すらスムーズではありませんでしたし、打ち合わせの途中で先方の女性担当者の方が感情的になって退出・・ということも結構ありました。私に対してすらそういう影響が結構あったのですから、メンバー対してもかなり厳しい、感情的な言動も多々あって、同じ方向を向いて仕事をする状態を作るのが大変な状況でした。

「相手はなぜ、そう思うのか」「我々の成すべきことは何なのか?」
丁寧なコミュニケーションを積み重ねることで、無事立ち上げることができた

時間のない中で私がやったのは、「相手がなぜ、そのような感情となるのか」という相手方の気持ちを理解して貰えるよう、また「会社やお客様が求めていることは何か。その礎を作るのは我々なんだ」という目的ややりがいを説き、一人ひとりと丁寧なコミュニケーションを取り続けることを凄く意識しました。
また、「自分で判断するより相談する、報告する」という報・連・相を徹底するなどを積み重ね、色々な問題を乗り越えながら徐々にメンバーの気持ちも同じ方向に向かっていったと思います。

ある時、食堂で並んでいたら、我々のいる製造部の部長さんがいらっしゃって、ポンと私の肩を叩いて「いつも、ありがとう」と言って下さったんです。嬉しかったですね。メンバーにその話をしたら、みんな喜んでましたね。

その経験の中で感じた、「頑張っている人が報われない」という怒り
自分の理想を現実にするために、営業への転向を直訴

当時の派遣業界では当たり前でしたが、私の所属していた会社も、経験や仕事の優劣に関係なく、給料が一緒だったんです。金額の違いは、労働時間だけ。元々、そこに違和感を持っていましたし、営業担当者にも噛みついていたのですが、実際に現場の責任を預かる身になり初めて契約条件に触れ、正直腹が立ちましたね。我々は請負ですから、「幾ら」という契約単価が定額で決まっています。契約単価で給与のレンジが決まってくる。その契約単価の○%が給与分という設定しかなくて、こんなことで自分の給料が決められているのかと。会社も、きちんと評価して定着をさせようという概念はありませんでした。頑張っている人が報われないシステムなんですよね。
私の理想は、アウトプットやパフォーマンスの高い人にきちんと給与という形で還元したいし、そうでない人を減らしたいということだけだったんです。でも、実際は報われない現実があった。だから、自分で契約を取って、自分で様々な契約設定ができる立場になろうと思って、営業に転向させて貰いました。

営業ひとりで頑張ることには、限界がある
最前線で働く社員のことを真剣に思う会社で働きたいと転職を決意

契約単価は、私とお客様で決めること。しかし、いくら私が他社さんより高い単価でお仕事を頂いて給与設定としても、評価を昇給に反映するとか、賞与原資としてプールするなど、会社としてのしくみがないと実現はできない。最前線で働く社員をどう思っているのか、どうしたいのか。そのための風土や制度はあるのかが、とても重要だと気付きました。私のいた会社は、業界最大手といわれた会社でしたが、それでもこうなのか・・と限界を感じ、2001年にUTグループに転職をしました。

当時UTグループは、1995年創業のまだまだ若い会社で実績もありませんでしたが、創業以来、正社員雇用、今でいう無期雇用を推進していました。そのための教育をして、しっかりと評価して還元するという仕組みがあったんです。1本、筋が通っていました。無期雇用をするということは、長期安定就業していただくことの裏返しだと思うんですね。その「長期安定就業していただくための風土や制度」があったことは、当時の私にとっては大きなインパクトでした。

ベテラン社員から言われた、「我々は身を引きます。若い人を残して欲しい。」
責任を取って辞めようと思った。でも、本当の責任の取り方は、会社を立て直すこと

2008年のリーマンショックが一番の苦境でした。
当時UTグループは資金調達をしながら同業者や半導体関連企業のM&Aを積極的に行っていましたが、その直後にリーマンショックがきて、財務的にも厳しい状況でした。年内は、既に頂いているお仕事の中で転勤を伴う異動などで調整し、何とか仕事の提供を前提とした雇用は維持できました。けれども、年が明けてからは、仕事もなくなってしまい、自宅や会社で待機という社員が徐々に増えていきました。
そんな苦境の最中のある日、私の部下ではあるものの、年上の元メーカー勤務の社員に直接言われました、「若い人を残してあげて下さい。」と。全国で何人もそういう方がいらっしゃった。本当に厳しい状況でした。
当時私は、製造の役員をやっていましたこともあり、実は私も「辞めます」と言ったんです。
そうしたら、当時の社長に言われました。「気持ちは分かる。でも、責任の取り方が間違っている。我々は無報酬でも、会社を立て直すんだ」と。
「そりゃ、そうだ」と思いました。すぐに気持ちを切り替えて、会社を立て直すことに邁進しました。
そして、何とか見通しが立った時、辞めた方々には真っ先に戻って頂きました。

業界がもの凄く叩かれ、業界自体が消滅してしまうのではないかと危機感を感じた
このままではいけないと導き出したのは、「雇用の継続」と「処遇の改善」

リーマンショック後、社会的に派遣業界は非常に叩かれていましたので、業界自体が消滅してしまうのではという危機感を持っていました。リーマンショックが業界自体に与える影響はとても大きかったんです。このままではいけない。変えていかないとと思いました。我々UTグループで導き出したのは、「雇用を継続していくこと」「処遇を改善していくこと」でした。お客様に加えて、派遣で働く社員もお客様に見立てた経営“2大カスタマー戦略”を掲げました。一方、顧客のニーズは「専門性」と「フレキシビリティ」です。相反するんですが、両立を目指して今も模索しながら取り組んでいます。
特徴的な例としては、社員もお客様も共に欲すれば、お客様の会社に移ることを奨励しており、UTテクノロジーだけでも、2年半で54名がお客様の元へ転籍しています。

想いが強ければ、行動が変わる。行動が変われば、成果も変わってくる
「日本全土に仕事を作る」というビジョンの実現を通じて、社会に貢献していきたい

よく、UTグループ創業者の若山が言うことに「人生は想いのままだ」という言葉があります。ちょっと傲慢に聞こえてしまうかもれませんが、どういうことかと言うと「想いが強ければ、行動が変わる。行動が変われば、成果も変わってくる」ということです。その通りだと思います。
UTグループのビジョンは「日本全土に仕事をつくる」です。
今、お客様が構造改革を余儀なくされ、社員数をかなり減らしている。だからこそ、我々が受け皿となって雇用して仕事を提供する。仕事があれば消費できる。納税することができる。それが我々業界の社会貢献だと思っています。
「想い」が、制度やルール、風土などに繋がっていくわけですが、もしそれらが充分でないとすれば、それはまだまだ「想いの密度にバラつき」のある集団ということ。想いや価値観を共有しているメンバーが集まれば集まるほど、バラつきは縮まると思いますし、縮まればまたさらに高いビジョンを掲げることができる。強い想いで、ビジョンを実現していきたいですね。

「今までの自分」と「これからの自分」
覚悟次第で、自分の人生は作っていける。全部、自分で選ぶことができる

「今までの自分」と「これからの自分」という覚悟次第で、自分の人生を作っていける業界だと思っています。我々の業界には、アクセル踏み込んで事業拡大しようという会社もたくさんあるわけで、そういう会社がたくさんあるということは、成長チャンスが自分にもたくさん与えられるということですから、自分でそれを掴み取れるだけの努力をすれば、公平にそのチャンスはあります。課題は沢山ありますが、僕は「やりがいのある業界だ」と思っています。
そして、これも46年生きてきて思うことですが、人間は、全部自分で選ぶことができる。選択し、判断し、決断の繰り返しの中で、人生を変えていく。自ら人生を変えることができる唯一の生物が人間です。だからこそ、まずは「自分で決める」ということが一番重要。「自分が情熱を持てるもの」を、「自分で選び」、そして「自分で決める」こと。なかなか見つからないのであれば、是非、情熱の対象を探し続けましょう。これに尽きます。

猪俣慎二(イノマタ シンジ)

UTテクノロジー株式会社 代表取締役

1969年生れ。大分出身。趣味はロックバンドと総合格闘技。
2002年日本エイム(株)入社(現UTグループ)
2007年同社 取締役
2011年UTリーディング(株)代表取締役(現UTテクノロジー)。
●座右の銘 「正義のない力は悪である。力のない正義も悪である。」byブレーズ・パスカル
●お奨めの本「現場力を鍛える。」 遠藤功著

同インタビューは、異なる視点でパートナーメディアにも掲載されています。
2016年2月1日発行 「月刊人材ビジネス
2016年2月29日発行 「PORTERS MAGAZINE