経営者インタビュー

東日本大震災という大きな危機を乗り越える中で見出した新たな絆。
そして、改めて感じた「人材サービス」という仕事への誇り。


更新日時:2016年08月

[東洋ワーク企業紹介]

昭和51年創業。請負・派遣のほか警備業、障害者就労支援施設の運営など人材サービスを幅広く展開。より多くの人へ様々な働き方を提供することで、それぞれの個性と得意分野を活かしながら働ける環境を目指す。近年では行政とのパートナーシップのもと、就業に困難を抱える方々の支援などにも積極的に取組み、就業を通じた「人材の育成」を推進する。

経営者インタビュー特別企画 インタビュアー
青木秀登 JHR人材育成委員会 委員長 (ランスタッド株式会社 執行役員)

(青木)今回の人材シナプス経営者インタビューのゲストは、東洋ワーク株式会社(本社:宮城県仙台市)代表取締役副社長の猪又明美さんです。どうぞ宜しくお願い致します。

(猪又)どうぞ宜しくお願い致します。楽しみにしておりました。

(青木)猪又さんと僕、お会いしてからもう10年くらい経ちますよね?

(猪又)そうですよね。青木さん、若かったですよね(笑)。

 (青木) それはお互いさまですけどね(笑)

(青木)東洋ワークは創業40年ということですが、猪又さんは入社してどれくらいになるんですか?

(猪又)実は私、新卒第一号なんです。アルバイトで2年、その後入社しました。年がバレるんですけど35年になります。

(青木)須佐社長を支えながら、35年間東洋ワークの歴史を見てきたわけですね。須佐社長といえば芸術家としても有名な方。二科展入賞、河北賞受賞されたということは私も存じ上げております。

※須佐尚康様:文末にて紹介

(猪又)現在は、地元で画廊も経営しており、大会があると招待作家で作品を出品するといった活動をさせて頂いています。

(青木)最初にお会いした時に、「この人、何か違うな」と感じました。なにか特別なオーラのようなものを感じたんですよね。須佐さんは、お元気ですか?

(猪又)相変わらず元気です。先日も社員と腹筋競争して須佐が勝ちました。その位元気です(笑)。我々よりも長生きすると、役員皆思っております。

バブル崩壊、メインバンク経営破綻、リーマンショック。
3つ目の大きな波を何とか乗り越えられる兆しが見えた時、東日本大震災に見舞われた。

(青木)猪又さんご自身、これまでを振り返って、何が一番のご苦労だったか、お伺いしたいのですが。

 

(猪又)これまで大きな波を4つ経験しました。最初はバブルが弾けた時。次に、メインバンクの北海道拓殖銀行が倒産した時(※)。3番目がリーマンショック。そして4番目の大きな波が、東日本大震災。今までの中でも非常に大きな波でした。

 

(青木)具体的にはどんな波だったのでしょうか?

 

(猪又)バブル崩壊後、パートの方からのアイデアを具体化したショッピングバスケットの洗浄事業を立ち上げ、その後は、季節労働の方達の受け皿を作りたいとの思いから警備事業をスタートさせ、これからという最中、ある朝突然、メインバンクが経営破綻。やり繰りが大変な時期が続き、ようやく経営も少しづつ改善できそうだよねとなってきた頃、リーマンショックが起こったんです。会社の経営的には「もう潰れるんじゃないか」と何度も思ったくらい、これまでに経験したことのない厳しい状況が続きました。

それでも徐々に先が見え始め、「ここからまた頑張っていかないと!」という矢先に、東日本大震災が起こったんです。

 

その時私は、障害者の方々が働いている仙台港のすぐ側の洗浄工場にいました。とても大きな揺れが5分たってもまだ続いて、これは普通の地震ではないと思いました。電気もガスも水道も止まってしまい、何が起こっているか状況が分からず、土曜日の明け方本社に戻ってラジオを掛けた時に初めて惨状を知りました。工場は海の側ですが、津波の直撃を免れたので、あれほど大きな津波だとは思ってもいなくて、非常に衝撃的でした。

翌朝、土曜日から安否確認等が始まるんですが、沿岸部は全く連絡が取れない状態。翌週時点では200人くらい連絡が取れず、緊張状態がずっと続いたことを凄く良く覚えています。

 

※北海道拓殖銀行:1997年経営破綻。都市銀行としては、戦後初、かつ現在唯一の破綻銀行。

会社に泊まり込んでの安否確認、食糧の調達と炊き出し・配給と大変な日々だったが、
行動指針を記したサバイバルカード、避難訓練など、大規模災害への備えが功を奏した。

(青木)ようやく被害の大きさが見えてきて、200人もの安否がわからない。それこそ心配だったんじゃないですか。

 

(猪又)はい、ですから必死で探し回りました。特に沿岸部が連絡がつかず、うちの社員が会社名を書いた「社員探しています」というプレートを持ちながら、徒歩や自転車で沿岸部の避難場所を回わり、一人一人の安否を確認しました。皆、あちこちの避難所に身を寄せてボランティアをしていたようなのですが、思ったより元気そうで嬉しかったですね。

 

(青木)働く場所が皆違うため、あの時の人材会社の安否確認は本当に大変でしたよね。メール飛ばしても、電話しても、バッテリーの問題もあり中々連絡がとれなくて、東洋ワークさん同様にボードを持ち、徒歩で1軒1軒避難所を訪ねて確認していましたよね。実際に全ての確認が終わったのはいつ頃だったのですが?

 

(猪又)3月末まで掛かりました。家も滅茶苦茶になっていて、家族とも連絡が取れない状況の社員もいましたが、会社に泊まり込んで確認作業をやってくれました。

食料が不足していたので、できるだけ多くの方々に食べ物を用意してあげようと、社員の女の子が朝早くから夜遅くまで、何度も何度もご飯を炊いて、ずっとおにぎりを作っていました。既に警備や瓦礫を除去する仕事があったので、彼らには朝の出勤時に必ずおにぎり2個を持たせました。また、各沿岸部拠点には1週間に1回、食べ物やカップラーメン、炊き出しに使えるようストーブを持っていきました。「誰かお腹をすかせてないか」って心配でね。だから普段はあまり事務所に寄らないような若い子たちも、会社を頼って来てくれて。うちの社員には、社員以外の避難してきた人達を含めた人数分のおにぎりを毎日必ず持たせてましたね。

 

(青木)あの大変な時期によく食料を確保できましたね?

 

(猪又)30年以内に宮城沖地震が99%来ると言われていたので、地震に対しての意識は高かったんです。東洋ワークでは「サバイバルカード」という緊急時の行動指針を記したカードをもたせて意識づけしていました。おかげで私のいた障害者の働く工場でも怪我人はでませんでしたね。他県と連携して食料や燃料を確保するルートも予め準備していたので、食料は山形・新潟・三重から、ガソリンも震災前から、もしものときに備えて契約していたガソリンスタンドから調達できたので、警備の仕事などへの影響は最小限で済みました。

何よりも社員の生活の確保が第一優先。日々、不安が高まる彼らを見て心を決めた。
「仕事なくても、給料は保証する」。何の後ろ盾もない中での決断だった。

(青木)では物資も確保でき、安否も明らかになってきて、落ち着きを取り戻そうという感じですね?

 

(猪又)いえいえ、ここからが大変でした。確かにまずは人命が一番。そして次に考えたのが雇用の確保、社員やスタッフの生活でした。お客様先も被災し仕事ができない状況。でも何としても守らなければと思ったんです。

そこで震災4日後には全拠点に「今回の震災で仕事ができない状況だけど、給料は保証する。給料の心配はするな。まずは身の安全と住む場所の確保、空いているアパートは全部提供しなさい」と通達を出しました。拠点の所長からは「本当にそんなこと言っていいんですか?」と聞かれましたが、「言っていいから。後は何とかするから心配しないで」と私が言うと社員がすごく喜びました。これでスタッフを元気づけられる、というのが大きかったのでしょうね。結果、現場全体が元気になりました。この決断は、スタッフの生活の糧を、震災を理由に簡単に絶ってしまうことはできない。プロとして皆を守らなければ、その一心でしたが、周りからは無謀だ、と相当心配されました。

実はその時点では何の後ろ盾もなく不安だらけでした。

しかし、頭の隅に「雇用調整助成金さえ出れば」という思いもあったんですよね。だから、技能協(※)の事務局から「猪又さん、何をしたら一番いい?」と聞かれた時、「雇用調整助成金を何とかして欲しい。それだけやってくれたら、こっちは何とでもする」と即答したのをよく覚えています。今振り返るとこの時の私は、業界団体の皆さんが「絶対に何とかしてくれる」と信じてたんです。これまでの業界団体での活動に信頼を持っていたからだと思います。皆さん、とても真摯に、スタッフや業界のためを思って活動されているのを知っていましたから。

 

※日本生産技能労務協会 製造請負・派遣を中心とした事業者の業界団体

東北企業の「何とかして欲しい」という切実な要望を受け、業界団体が動き出す。
「雇用を守りたい」。その想いが実をむすんだ

青木)ありがとうございます。そうなんですよね。最初は、助成金の受給が難しかったのですよね。技能協へも猪又さんをはじめ東北に拠点のある会員会社から、「派遣は助成金受けづらいようなので、どうにかしてほしい」と派遣スタッフの雇用を守ろうとする問い合わせが複数よせられました。

技能協の幹部も事務局も「どうにかしなければ」と、直ぐに行動に移し、国会議員はじめ関係機関にも説明に回りました。すぐに理解していただき反応も良いのですが、実際に受給できることになるのか分からず不安もある中での活動でした。

この問題を政策担当理事がSNSで取りあげたことをきっかけに、連合の非正規センター長からも連絡があり、「私達も動く」と、連合としても直ぐに行動に移してくれました。「誰が」とかではなく、東北の為にやれることを、最善の努力をしようと皆が動いてくれたんですよね。

その甲斐あってか、その後すぐに助成の話がきて、多くの人材会社がスタッフの雇用維持のために雇用調整助成金を活用しました。恐らく、状況をご理解頂き、実際にどういう問題があるかが分かったからこそ、すぐに行動いただけたんだと思います。もちろん、それだけでは足りないとことは分かっているんですが、できることが限られている私達には、国からのサポートがいただけるというのは非常に大きいですよね。

 

(猪又)皆さまには本当に感謝しています。正直、おかげで救われました。業界団体のチカラというか「スタッフの為に何かしなければ」という思いが嬉しかったですし、その熱意の結晶が、実際にものごとを動かす原動力になるんだ、ということを実感しました。厚労省、国会議員の先生、連合の皆さまなど、ご支援いただいた皆さまにとても感謝しています。

 

※写真は、2016年3月に開催した「キャリアコンサルティング」セミナーの様子。このような勉強会を随時行っている。

自分達を助けるために動いてくれた人達の想いに、たくさんのエネルギーを頂き、
震災という大きな波を共に越えることで、新たな絆を見い出すことができた。

(猪又)何とかなりそうと聞いた時、「生き延びられる」と思ったんです。急に力が沸いて、「立て直すぞ」という前向きなスイッチがピッと入り、本当に寝ないでも取り組めるような感じでした。非常に大変でしたけど、別のエネルギーを皆様から頂き、頑張れたんだと思います。

少し落ち着いてきた頃に、被災したスタッフや親御さんがお菓子や地元の野菜を持って拠点に挨拶に来て下さったんです。これは、リーマンショックの時と全く異なることでした。あの時は一部のマスコミに叩かれ、派遣社員だと言うことが恥ずかしいと言う人さえいて、業界自体が色眼鏡で見られ、どうしてだろうと、私自身心が折れそうになることもありました。正直現場との距離感を感じたこともあったんですが、震災をいっしょに乗越える経験中で、スタッフと我々がガチッと咬み合った感覚がありました。嬉しい驚きでした。時代に翻弄され、色々な形で流されてきた業界ですが、「あぁ、あの決断をして良かった。間違ってなかった」と強く思えました。

これから先、色々なことがあっても、もう気持ちはグラつかないと思えたことはとても大きかったと思います。

 

(青木)東洋ワークさんが、スタッフや関係者の人にどういう思いで接しているか、色々な人が見ていたし、伝わったからこそだと思うんですよね。大変な時だからこそ、より一層伝わったんだと思います。

働く人、働きたい人の様々な不安・悩み事をきちんと理解し、伝える力。
その力に誇りと自信を持って、様々な形で人が働ける世界を実現していきたい。

(青木)最後に、猪又さんの人材サービスへの想いをお聞かせください。

 

(猪又)人材サービスに携わる人たちには、素晴らしい経験をして、誇れる仕事をしていると思っています。毎日いろんな環境や考え方の人たちと出会い、相手を理解したうえで働けるように支援する。これってスゴイことなんですよ。人はそれぞれ、育った環境も能力も千差万別。職場にも合う、合わないがあり、長い人生ではその時々毎に社会との関わり方が変わってきます。そういった様々な事情に寄り添って、仕事を通して社会の一員として活躍してもらう環境を提供し続けるって素晴らしいと思いませんか。こうした日々の業務は、私たち自身の人間力を磨くことでもあると思うんです。

私どもは上場もしていない東北の小さな会社です。けれど私は自社の社員に「あなた達は大会社の社員にだって負けない素晴しさがある。自信をもちなさい。」と言っています。業界で働く皆さんにも自分の仕事に誇りをもって胸をはって活躍してもらいたいですね。

 

そして、まだまだ社会には、働きにくい人達がいます。引きこもりの問題や障害者、あるいは高齢の方達、一人親、もっと拡げれば生活保護で暮らす方達にも、我々の業界は様々な工夫をすることで、働ける仕組みを作っていけるのではないでしょうか。その可能性を業界として再度見直して、より多くの人が輝ける社会に貢献していきたいですね。

 猪又さま

(青木)ありがとうございます。東洋ワークさんが広い意味で「働く人支援」に本気で取組んでいるのがすごくよくわかりました。地道な活動の一つひとつが現在の東洋ワークを築いてきたんですね。初めて知る活動も多くて、僕自身もとても勉強になりました。自分のことを真剣に考えてくれる、その信頼感が絆になるんでしょうね。猪又さん、改めて見直しました!(笑)そして今後とも宜しくお願いします。

東洋ワーク株式会社 代表取締役 須佐尚康さん

大学卒業後商社に就職するも独立を決意。28才の時に人材派遣会社東洋ワークを創立。独立時に同級生に、「故郷福島県大沼郡金山町の人口(当時3500人)より、多くの人を使う会社にしてみせる」と言って笑われるも、全国50拠点、海外6拠点、稼動派遣社員約4000人の企業に成長させる有言実行の人。親に反対され1度は諦めた中学生の頃の「彫刻家になりたい」の夢を叶え、二科展入賞、河北賞・東北放送賞入賞など多数入賞。

趣味は、彫刻、陶芸、絵画鑑賞。週2回を創作の日と決め、1年1体を目標に作品制作を行っている。(東北情報ポータルサイト「りらく顔語り」より抜粋)

猪又 明美(イノマタ アケミ)

東洋ワーク株式会社 代表取締役副社長

[プロフィール]

 

1959年青森県生まれ。

学生時代、「仙台で一番の会社」を志す東洋ワーク創業者 須佐尚康氏のもとでアルバイト。

1981年東北福祉大卒業 内定していたコンピュータ会社を断り東洋ワーク入社

要職を歴任後、専務取締役事業本部新規事業推進室。震災後は被災地域復興推進キャリア支援担当役員を務める一方、日本生産技能労務協会でも「復興推進室」担当理事として被災失業者の就業ならびにキャリア移動支援を推進する。2012年グループ特例子会社クリーン&クリーン代表取締役、2015年、東洋ワーク代表取締役副社長に就任。

●座右の銘 「原理原則」

●お勧めの一冊 『生き方』(稲盛和夫)

 

同インタビューは、異なる視点でパートナーメディアにも掲載されています。
2016年8月1日発行 「月刊人材ビジネス
2016年8月29日発行 「PORTERS MAGAZINE