経営者インタビュー

お客様にとって、読者にとって、絶対的に“いい商品”を作り続けることこそが、創業時の思いを叶えるための鍵だった


更新日時:2017年05月

[エール企業紹介]

平成4年設立。「ワクワクする情報をもっとたくさんの人に」を掲げ、フリーマガジンの求人情報誌「Yell」、女性が喜ぶをコンセプトに誕生したフリークーポンマガジン「まるごとクーポン PaPick」、人が働く動機としての「価値観」を軸から企業・求職者のマッチングを促し、ミスマッチの解消を目指した求人サイト「イイシゴト山梨 エール」を提供。

山梨に根差し、山梨の発展に繋げるべく様々なサービスを展開。

「世の中に対して、何か大きなことがしたい!」
そんな強い思いを胸に抱き、21歳で起業。

幼少の頃、私の両親が離婚し、私は親父に引き取られたんですが、なかなか親父も自分の生活をするに精一杯で、他人の家に預けられたということもあって、ある種屈折した幼少時代を過ごしたせいか、世の中に対して「なんとか一発当てたい!」とは思ってたんです。キックボクシングの世界で成功しようと無我夢中に頑張ったんですけど、なかなか難しく19~20歳の頃に引退。どうしようかなと思っていた時、私が現役時代に後援会をして下さっていた、実は親父も就職していた求人情報誌の会社に入社しました。それが人材ビジネスに携わったきっかけです。

当時、厚い情報誌の1ページが100万円、150万円で、「凄い、儲かりそうだな」と思っていましたから、この業界で独立しようと入社1年後、親父と二人で独立しました。

昔ながらで言うと、「ちょっとお金持ちになりたいな」「一発何かやりたいな」という思いで創業をしたという感じですね。

創刊号は3000部刷って、2500部返本。
反響は厳しいものの、営業力で何とか会社は軌道に乗った。

創業当時、僕と親父と4人でしたが、藁半紙をホチキスで止めて、エールって書いてね、「こういう雑誌です」と。どういう雑誌か分からないものを持って歩いて、なんとか創刊しました。創刊号はカラーもふんだんに使って出しました。そうすれば、顧客から電話が掛かってくると思ったんですが、全然掛かってきませんでしたね。有料誌ですから本も売れず、1回で3000部くらい刷るんですね。3000部刷って2500部戻ってくる。そんな状態ですから、反響も出ませんし、お客さんもうちの商品なんて知らないという感じでした。

3年目から夜の商売をされている業種、我々はナイト系というのですが、そこからお仕事を頂くようになり、徐々に軌道に乗り始めました。ナイト系というのは反響が出にくいこともあり、反響がなくても、また次に掲載して下さるんですよね。もちろん、荒い言葉で怒られたりはしますけど(笑)。またナイト系以外のお客様も一生懸命に開拓するんですがなかなか伸びずに、ナイト系と非ナイトのお客様は7:3くらいの割合でしたね。そんな状態が続いていました。

「こんなことを繰り返していて何になる。このままじゃ、大きくなれない。」
そんなジレンマや焦り。悩んで、悩んで、それでも変わらない現実。

ナイト系の業種を取り込むようになって、会社が軌道に乗り始めたのだから、順調であるはずはなのに、その当時、僕はよく過呼吸になったんです。常に過呼吸になっているような感じですよね。息が吸えないっていう。あんまりひどくて、病院行って「はい、吸って下さい」って言われて吸ったら、「丹澤さん、すごい空気が入っていますよ」ってね。自分的には全然空気が入っていないでしょと思うんですけど。そんな常に過呼吸という状態を創業してから5年くらいずっと続いていたんです。今思うと、焦りややっぱりジレンマが大きかったんですね。「大きいことしたい!」そう思って起業したのに、こんなことを繰り返していて何になるんだ。「このままだったら、でかくなれないじゃん!」というジレンマが凄くあって。当時はやっぱり若いし、頭の中がこう、自分がプロでやっていたキックボクシングとか格闘技、スポーツの世界の頭なんで、「30歳になるまでに大きくならなきゃ」「早く当てるんだ」という、早く大きくなるんだ、早くなんか・・って、もの凄く焦って、悩んで、悩んで・・。でも、現実はなかなか変わらないという状況が、ほんとにきつかったですね。

ある社長が言った、「丹澤君、反響を出せたら、お客さんは拡がるよ。」
天啓とも思えるその言葉は、大きな転機となった。

そんな時に、様々な会社さんの商売のノウハウを教わりたいという動機で、全国求人情報協会に入会したんですが、ちょうどオーストラリア視察があって、1週間も寝食共にすれば色々と勉強にもなるだろうと、決してゆとりがあったわけではないんですが、参加したんです。そこで静岡のある社長さんに出会ったことが僕の転機になりました。

視察から帰ると毎晩その人のところに行って、「読者とは何?」、「クライアントが望んでいることって何だっけ?」とか、「経営者の役割って、モノを売ることなんだっけ?」とか、色々話をさせて頂く中で、「やっぱりこの商売は、読者を捕まえて反響を出さないと成立しないよ」と言われた言葉がもの凄く刺さったんです。僕にはこれまで、お客さんや反響っていう意識がなかったので、「反響がなければ売上あがるんだ」と、ほんとに信じてましたから。それでその時、思わず質問したんです。「反響がでると、お客さん求人しなくなるじゃないですか。そうすると、売上あがらないじゃないですか」と。するとその社長さんに「丹澤君ね、反響を出せたら、もっとお客が拡がるんだ。もっと沢山のお客さんが来るから」と言われ、「ああ、これだっ!」と思えたんです。そこからは早かったですね。帰国してから一気にそっちに行きましたから。その社長さんとの出会いは大きかったです。全ての面で大きかったですね。その人と出会わなかったから、今の僕はないですね。今でも本当に尊敬をしている一番の経営者です。

「お客様を満足させる商品じゃないといけない」
翌週から、すぐに、全てを変えにいった。

「お客様を満足させる商品じゃないといけない」と肌で実感したんで、帰国してすぐに、商品作りや戦略をどんどん変えていきましたね。

私達の情報誌では、それまで給与なども載せてなかったですし、フリーのフォーマットで、お客さんの言われるままに作ったりしていましたが、給与を載せなかったから掲載しないとか、翌週からすぐに変えました。それこそ全求協が理念として「適正な求人広告を」と掲げていますが、まさに「適正な求人広告作り」を目指して改革し始めたんです。

さらに、反響を出すための商品作りとしてフリーペーパー化を図りました。当時、売上・利益がトントンぐらいの会社だったんですが、先行投資で赤字を作ってもいいから、ラックを沢山買って設置店を開拓しました。反対の声も多かったですが、若かったんで、「このままやって大きくなれないならダメと同じだし、今ダメになるか、後でダメになるかだけの違い。ダメになるんだったら、今ダメになろうよ」と言って、押し切ってやっていったという感じですよね。

設置店はあっという間に1000店になりました。山梨はまだフリーペーパーがない頃でもあり、そこから本当に一気に事業が加速した感じでした。売上もあがったんですが、何より、メンバーが活き活きと仕事をするようになり、「お客様を満足させる商品であること」の重要性を痛感しました。

「クライアントから見て、読者から見ての絶対的にいい商品作り」
どんなに景気が厳しくとも、絶対に譲れないことがある。

その後、順調に業績が伸びていたこともあり、若かった僕の天狗の鼻も伸びていたこともあり(笑)、東京に進出したんです。状況は厳しかったんですが、地元山梨の業績が下がってきたことも相まって、結果として撤退。その後すぐにリーマンショックが起こりました。しんどかったですね。売上7割減です。最悪でしたね。ほんとにしんどかったです。

でも、どんなに業績が厳しくても、絶対に譲れなかったのは、「クライアントから見て、読者から見ての絶対的にいい商品作り」。

ここを外したら、幾ら削減策をしようが、この厳しい状況に耐えようが、お客様は戻ってこないと思っていたんです。逆に、いい商品さえ提供し続けたら、いずれ景気が戻ってくれば、お客様は必ず戻ってくると信念を持ってましたね。

胆は、いいサービスをしながら苦労すること。そこだけは外すとダメだなと思っていました。だから、状況的には厳しかったんですが、過呼吸を起こしたアノ頃の方が精神的にはしんどかったかもしれません。

労働市場は、日本経済の血液。
労働市場が大きく変わる節目に、変革する業界に携わっている認識を持って欲しい。

我々の業界の社会的意義って深いと思うんですね。で、日本経済の雇用、やっぱり労働市場って血液だと思うし、これから日本の社会が成長のために、労働市場改革って、1丁目1番地だと思っているんですよ。現在の我々のビジネス環境としてはそんな悪くない。だけど、その先でいうとね、凄く悩ましいテーマ。例えばロボット化、AI化によって仕事がなくなるとか、代替が効くとか言われているわけですよ。20年30年先に、我々の仕事って意味あるの?と思うところもあるのかもしれないんですけど、今から労働市場改革をしていく中で、一番先端に我々はいると思うんです。大げさに言うと、どんなふうに改革者として参加していくかっていうことが、我々のビジネスにとって一番面白いんじゃないのって、思います。なかなかこういう節目ってないと思うし、たまたま今その時期に来ていて、自分自身が世の中の変革期、変革する業界に携わっているっていう認識をね、ちゃんと持っていて欲しいなと思いますね。

 

 

丹澤 直紀(タンザワ ナオキ)

株式会社エール 代表取締役社長 兼 公益社団法人全国求人情報協会 理事長

[プロフィール]

1992年 株式会社 エール設立 代表取締役社長に就任

1997年 株式会社エール・ヒューマンソリューション・パートナーズ設立

2006年 株式会社 モンスター設立

2011年 公益社団法人 全国求人情報協会 理事長就任

●座右の銘 「自ら機会を創り出し、その機会によって自らを変えよ」

●お勧めの一冊 「フェルマーの最終定理」

同インタビューは、異なる視点でパートナーメディアにも掲載されています。
2017年5月1日発行 「月刊人材ビジネス
2017年5月31日発行 「PORTERS MAGAZINE